暑い夏の一日に、惑星が地球に衝突する日について考える

今月の28日頃に、直径160メートルくらいの小惑星が地球に最接近するらしい。

 

先月25日にも直径130メートルくらいの小惑星が地球の近くを通過したのだけれど、そのニュースが報じられたのは惑星通過後のこと。地球から7万2000キロメートルの距離のところを通過したとか。数字だけみるとすごく離れているように思えるけど、これは月と地球の間の距離の5分の1程度だという。

 

科学者がこの小惑星の存在に気づいたのは通過する数日前だったそうで、通常なら地球に近づきそうな小惑星はその軌道を変更させる何らかの処置をとるらしいのだけど、それも間に合わないくらい、ギリギリまで存在に気づかなかったようです。

 

地球にぶつからなくて良かったと単純に安堵するいっぽう、コトが終わってから知らされたってところに若干ひっかかります。

 

まあ、へたに知らせて世間が過剰に大騒ぎしても困るんでスルーしてたのかもしれません。

でも今回は事前に告知しているので、今回は地球に衝突する可能性がまずないことが分かってるのでしょう。

 

このニュースを聞いて思い出したのが、ラース・フォン・トリアーが監督した映画『メランコリア』(2011年)です。

 

心を病んだ女性(骨太のキルスティン・ダンスト)がなぜか自分の結婚披露パーティーでぶち切れて、何の罪もない結婚相手や親族を傷つけ、自分の勤め先の上司の顔に泥を塗り、祝宴の場をグチャグチャにするも本人は被害者意識で欝々としている…が映画の前半です。

鬱病三部作」という呼び名に違わず、観ているこちらも心を病みそうになる陰気な雰囲気と登場人物。しかしなぜか映画の後半から突然SF映画的展開になります。

 

人里離れた森の中の邸宅で天体観測をしていたヒロインは、地球に惑星が急速に近づきつつあることに気づくのです。そしてその軌道を計算すると、惑星が地球に衝突することは避けられないと知ります。

 

このことに最初に気づいた彼女の義兄は、その事実が示す圧倒的恐怖に耐えられなくて、惑星が接近する前に自殺してしまいます。

いつも支配的にふるまっていた彼女の姉は、パニックを起こします。

 

ところが、ヒロインは逆に落ち着き払って普段通りに過ごし、「地球最後の日」にむけて静かに準備を進めていきます。

広い庭の真ん中に木の枝でピラミッド型のサークルを作り、姉と甥の三人で手をつなぎ、最後の「その瞬間」を迎えるのです。

 

「地球最後の日」をテーマにした物語はおそらくたくさんあり、いわゆる冷戦の時代につくられた映画だと、核爆弾によって人類滅亡というストーリーが王道です。ハリウッド映画の『渚にて』とか。

そういえば小松左京原作の『復活の日』は、猛毒のウイルスが空気中にまき散らされたことで人類が絶滅してしまう(ちょっとだけ生き残るけど)という設定でした。

 

惑星が地球に衝突というパターンもあるのかーーー。

 

何しろ、地球の周りには2万個くらい小惑星が漂ってらしい。事前の防御策が間に合わない、あるいは不可能な事態もおこりうる。

 

地球滅亡みたいなスケールでなくとも、例えば映画『タイタニック』では、船の沈没を覚悟した老夫婦が、救命ボートも諦めて、夫婦で手をつないでベッドに並んで横たわって「最後の瞬間」を迎えるシーンがありましたね。

 

最後まで希望を捨てずに助かる手段を探す人 と、早々に諦めて自ら死を選ぶ人、ヤケになってありったけの享楽をしておこうとする人、などいくつかのパターンが想像できます。

 

その時の行動にこそ、その人の性格や価値観、人生があらわれるのでしょう。

 しかしこれは私の想像ですが、現在人生に絶望している人、自分の人生や生活は詰んでいると感じている人、自分自身に対する失望から生きる気力を失っている人などは、「地球最後の日」が来ることを知ったとき、むしろ生き生きと、前向きになるのではないでしょうか。『メランコリア』のヒロインが一転して、落ち着きと安定を得たように。

ロラン・バルトの「パチンコ論」がやりなおしのきかない日本社会への皮肉に読めてしまう

よく「日本は一度つまづくと、やりなおしがきかない社会」と言われます。

私もそう思います。もちろん、「人による」とも言えますが、いまだに企業は新卒主義だし、「生え抜き」が「外様(とざま)」より大事にされるとか、とにかくスタート地点において間違えないことが重要な社会構造になっていると感じます。

 

ロラン・バルトの『表徴の帝国』(宗左近訳、ちくま学芸文庫)の中の「パチンコ」という一篇が、そういう「やりなおしのきかない」日本社会のメタファーになってて、おもしろいんですよ。

 

 この本は1970年にフランスで出版されているので、ここに出てくる「パチンコ」は現在のパチンコのようなダイヤルを軽く操作すれば自動的にどんどん玉が飛び出してくる電飾ギラギラのスロット付きなどではなく、バネ付きのバルブで一個ずつ玉を弾き出す仕様のものです。現在のように射幸性が高いギャンブル機械ではなく、小銭でヒマつぶしとして楽しんでいた時代の「パチンコ」。ちなみに、立ちっぱなしでやるのが当時のスタイル。

サラリーマンにとって手軽で大衆的な娯楽のひとつで、立ちっぱなしという遊戯スタイルからもわかる通り、ちょっとした空き時間などに短時間遊ぶものだったようです。

 

フランスにはない日本独特のものであることが、比較文化論的に論じやすいのかもしれません。

 

 パチンコは、集団的で、しかも一人ぼっちの遊びである。(中略)パチンコ店は、いわば蜜蜂の巣箱、または工場である。パチンコをする人々は、鎖につながれて仕事をしているようにみえる。その情景のきびしい感じは、われを忘れて専心する労働者の感じである。怠惰、放埓、粋などといった様子はまったくない。(48-49頁)

 

この本のなかで、日本のパチンコに対比して語られるのは電動ビリヤードマシンです。パチンコの台が垂直に置かれているのに対して、ビリヤードマシンは上から覗き込むように見下ろしながらボールをバネで弾く装置です。外国映画では酒場などに置いてあり、ビールを飲みながら「ヒマつぶし」といった風情で客がやっています。弾いたボールを思い通りのところに導くために、装置の側面をバンバン叩くシーンをよく見ます。

 

バルトが注目するのが、東西それぞれの遊び手が遊戯しているときの態度です。パチンコで遊ぶ日本人の態度は、「鎖につながれて仕事をしているようにみえる。その情景のきびしい感じは、われを忘れて専心する労働者の感じである。怠惰、放埓、粋などといった様子はまったくない」というもの。それに対し、ビリヤードマシンで遊ぶ西洋人はというと…。

 

西欧の遊び手たちは、電動ビリヤードマシンのまわりに、ぶらぶらと三々五々たむろして、自分たちがカッフェのお客たちの目に、練達しきってもう白けてしまったその道の名人みたいに映ることを十分心得ぬいている(49頁)

 

「われを忘れて専心する」日本人に対し、「白けてしまったその道の名人みたいに」ふるまう西洋人。

バルトはさらに、両者の遊びの技術の違いについても言及します。

 

西欧の遊び手の場合は、いったん玉をはじきだすと、ことはその玉の落ちてゆく進路を(機械に衝撃を与えることによって)しだいに修正することにかかってくる。日本の遊び手の場合は、玉のはじきかたによってすべてが決定される。いっさい親指によってバネに伝えられた力加減によるのである。指の使いかたが直接の支配力をもち決定的なのであって、そこにのみ遊び手の才能は働く。前もってだけしか、しかも一回こっきりしか、遊び手は偶然を修正できはしないのだから。(中略)

はじかれた玉は針路の変更がきかない(中略)。パチンコの玉の進路は、はじくときの一瞬の稲妻によって宿命的に決定される。(49-50頁)

 

パチンコが「玉のはじきかたによってすべてが決定される」機械である、つまりプレーの最初の部分しか操作(選択)できないシステムであることや、パチンコをする日本人の姿がまったく楽しそうでなく、西洋人のように周囲にマウンティングする余裕すらない「きびしい感じ」であることなどが、私に「失敗の許されない日本社会」を連想させるんですよね。

 

バルトがそんな意味まで込めていたのかどうかはわかりませんが。

 

パチンコの機械に玉を入れる様子を、「鵞鳥にむりやり餌を食べさせるのとそっくり」と言ったり、パチンコが当たりになると一気に大量の玉が出てくる様子を、「機械は一気に玉を下痢する」と形容してるところも面白い。

1964年東京オリンピック前の日本には「皇居」をめぐる自由で過激な言論空間があった

今年2月に埼玉県立近代美術館で開かれた「インポッシブル・アーキテクチャー」という展覧会がとても面白かった。

タイトル通り、何らかの理由により実現(建設)困難に陥った東西の建築物を集めた展覧会です。

建設費用がかかりすぎるために中止になった案もあれば、建築家が急逝して中止になった案、建築案を募集したプロジェクトが流れた結果無駄になった案、さらに、そもそも実現を目的としていない完全なる思考実験として作られた案など、その建築デザインのバラエティーと同じくらい様々な理由を持つ作品が、図面やミニチュアなどを使って展示されていました。

 

1919年のタトリンの第三インターナショナル記念塔から2018年の山口晃「都庁本案図」まで、大真面目なものから笑えるもの(もしかしたら作者は大真面目なのかもしれないけど)さまざまあり、たっぷり一時間近くかけて楽しく観ました。

 

そのなかでも、とくに60年代に日本の建築家が構想した東京の都市計画案が興味深かったですね。

美術家の岡本太郎も、「おばけ東京」(1957年)という都市計画案を出しています。ほかに黒川紀章の「東京計画1961-Helix計画」(1961年)と菊竹清訓の「海上都市1963」(1963年)など。

 

岡本と黒川の建築案では、皇居が都市の中心に据えられ、そこから放射状に様々な首都機能が伸びていくイメージです。そういう意味では現在の東京の都市構造とそれほど変わらない、というか、やはり皇居は現在のあの場所(江戸城跡)から動かさないことが前提なのでしょう。

 

こうした都市計画案が作られた背景には、当時、東京の人口が爆発的に増加していて、住居不足が心配されていたことがあったようです。

 

で、ここまでは前置きでして。

実は私が一番驚いたのは、世界に名だたる一流建築家たちの斬新な建築案ではなく、菊竹の「海上都市1963」の解説パネルに書かれていた、ある文章でした。

展覧会の図録(五十嵐太郎監修、埼玉県立近代美術館広島市現代美術館国立国際美術館編『インポッシブル・アーキテクチャー』)から、その箇所を引用します。

 

1958年、日本住宅公団総裁、加納久朗が驚くべき構想を発表する。房総半島の山々を核爆弾で崩落させ、その土砂や岩石で東京湾を半分埋め立てる、そこに皇居をはじめ首都機能を移転して、新首都「ヤマト」と呼ぼう、というのである。(108頁)

 

この発言、ビックリしませんか?「核爆弾で崩落」っていうのもちょっとどうなの?って感じですが、あの過激さがウリの岡本太郎すら言わなかった「皇居の移転」を平然と提案し、しかも首都名が「ヤマト」?!

 

今の時代にこんなこと言ったら、たちまち右からも左からも批判されそう。しかもこんな立場の人が著書の中で言ってるのだから、「実は冗談でした」って訳でもないですよね。

現在だったら叩かれたり炎上したりすること必至…?!

 

この発言内容の是非とかはどうでもいいんですが、それよりも、昔の雑誌や本を読むたびに、昔(バブル経済期以前)の日本人のほうが、現在の日本人よりも、他者の言動におおらかだったんだなーとよく思います。そして、昔の文化人とか評論家とかライターとかの人々のほうが、業界とか権威とかにあまり忖度せずに、きちんと自分の意見や感想を言っていたようにみえる。

 

ひさしぶりに澁澤龍彦のエッセーを読み返したところ、同じような過激な文章に出会いました。

 

戦後十八年、東京は今や、自分で自分の畸形的な成長を阻止することのできない、巨大な病める獣のようにふくれあがった。

(中略)

宮城を横目でにらみながら、お濠ばたにのろのろタクシーを走らせているときくらい、腹の立つことはないのである。

なにも宮城をぶっこわせと言っているのではない。(中略)問題は、天皇一家の住居としての宮城である。天皇には、静かな京都か北海道あたりに行って老後を送ってもらえばよろしい。(中略)さて、天皇一家の追放されたあとの宮城には、新しい幹線道路を縦横無尽にぶっ通す。交通地獄は大幅に改善される。

澁澤龍彦「東京感傷生活」『私の戦後追想』、河出文庫、94-95頁)

 

 

澁澤もよほど当時の東京の交通渋滞に嫌気がさしてたんでしょう。

都市交通計画案というほどでもない気儘なエッセーに過ぎないのですが、現在の日本社会でこんなことを著名作家が発言したら、単なる思考実験ですまされずに「非常識」とか「不敬」とか猛批判が来そう(もっとも澁澤龍彦なら、そんなこと気にもしないでしょうが)。

 

ところで、上記の澁澤の文章は、まさに「お濠ばたにのろのろタクシーを走らせている」当事者の視点からのものですが、この同じ状況を、もっと俯瞰的にとらえたのがロラン・バルトの『表徴の帝国』(宗左近訳、ちくま学芸文庫)のなかの次の一節です。

 

わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。禁城であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。毎日毎日、鉄砲玉のように急速に精力的ですばやい運転で、タクシーはこの円環を迂回している。(中略)現代の最も強大な二大都市の一つであるこの首都は、城壁と濠水と屋根と樹木との不透明な環のまわりに造られているのだが、しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。(「中心ー都市 空虚の中心」54頁)

 

この著書がフランスで発表されたのは1970年。バルトの見た東京は、澁澤がのろのろ走るタクシーに苛立っていたのとほぼ同じ時期の東京と思われます。

澁澤のように、皇居に幹線道路を通してはどうか、などといった「現実的な話」をバルトはしている訳ではありませんが、東京の中心に「空虚な中心点=無」があるとするこの文章は、日本文化論でもあり、慧眼を感じさせます。

 

もっとも私自身は、皇居はもうあのままでいいと思ってます。都市の中心の一等地に、タヌキやイタチや稀少な生きものが生息しているなんて愉快ですから。

アンディ・ウォーホル『ぼくの哲学』が教えてくれたトランプ大統領とハンバーガーの関係

トランプ大統領の好物はハンバーガー、それもマクドナルドがお気に入りらしい。お気に入りの理由は、アメリカ生まれのアメリカを代表する食べものだから。

 

来日した時も、安倍首相とのゴルフ場でのランチは二度ともハンバーガーでした(マックではなく有名店のグルメバーガーでしたが)。

 

これをもって日本人のなかには、トランプ氏のことを、しょせんチープな舌を持った下賤な男と考える人もいるようです。しかし、実はアメリカ人にとってのハンバーガーというのは、一般に私たちが考える以上の意味があります。

これは、同じくトランプ氏お気に入りのアメリカン・フードであるコーク(コカコーラであれペプシであれ)についても同じ。

 

私にそれを教えてくれたのはアンディ・ウォーホルでした。正確にいえば、ウォーホルの著書『ぼくの哲学』(落石八月月訳、新潮社)に、アメリカ人とそれらアメリカのジャンクフードとの関係が、とても分かりやすく示唆されていたのです。

その一節が、とても素晴しいのです。

 

アメリカという国の偉いところは金持ちでも貧乏人と同じものを消費するっていうとこだ。TVを見ればコカコーラが映るし、大統領がコカコーラを飲む、リズ・テイラーがコカコーラを飲む、そして考えたら君もコカコーラを飲むわけだ。(中略)コークはどれもぜんぶおんなじでコークはぜんぶおいしい。そのことをリズ・テイラーも知っているし、大統領も知っているし、ホームレスも知っているし、君も知っている。

ヨーロッパでは王侯貴族は百姓よりかずっとケタ違いにいいものを食べてて、おんなじ物なんか食べていなかった。雉を食べるか粥を食べるか、どっちの階級も自分たちの食べ物以外食べられなかった。 (138頁)

アメリカという考えは素晴らしい。平等であればあるほどアメリカ的だからね。 (139頁)

 

 

長々と引用するのは著作権上ためらわれるので省略しましたが、アメリカではお金持ちも貧乏人も、同じコークを飲み、同じホットドッグを食べ、同じテレビを見てる。貧乏人が飲むコークも金持ちが飲むコークも味は一緒、エリザベス女王アメリカに来た時、アイゼンハワー大統領が女王に、野球場で売ってるような20セントぐらいのおいしいホットドッグを買ってあげた話などが書かれています。

 

とはいっても、実際にはセレブたちはコークも飲むけどシャンパンも飲み、ホットドッグも食べるけどセレブ御用達の高級レストラン(日本料理店含む)にも行っているんでしょうけど…。

それでも、ことさらトランプ大統領ハンバーガーとコーク好きをアピールする根底にあるものが、理解できますよね。

 

そこで思い出したのが、エリザベス女王の「バナナの食べかた」について書いてあったネット・ニュースです。

なんでもエリザベス女王は、実はバナナが好きらしいのですが、サルのように見られたくないために、上等なお皿に皮付きのバナナを載せ、ナイフとフォークを使ってお召し上がりになるのだとか。

 

バナナは庶民的な果物。それをわざわざ高級デザートのような装いにして、むずかしい食べ方をする英国女王。

 

それぞれのお国柄を象徴しているようで面白いですね。 

『砂の器』に描かれた昭和30年代の日本の光と影

松本清張の『砂の器』は何回も映像化されている人気作品です。野村芳太郎監督の映画は特に有名です。

テレビでも、設定を少しずつ変えつつ、何度もドラマ化されています。成功の頂点に届きそうになるその寸前で主人公が破滅する、という分かりやすいドラマ性が、制作側としても盛り上げやすく、かつ視聴者も引きつけるのでしょう。悲劇の主人公にジャニーズの人気タレントを配するのが最近の傾向のようです。

 

子供の頃に映画を観た時には、確かに感動はしましたが、とくに好きな映画ではありません。いかにも日本映画らしい、暗く陰気で、ジトジトした湿度の高い感じが、むしろ苦手です。

 

しかし、数年前にふと思い立ち、小説の方を読んでみました。

…まるで別物でした。いい意味で。

 

原作と映像作品の大きな相違点をあげておくと、この物語の中心人物である和賀英良の設定が違います。多くの映像作品では和賀はクラシック系のピアニストですが、小説では現代音楽それもかなりの先端をいく前衛音楽の作曲家という設定です。

そして、この前衛音楽の作曲家という設定が、彼の犯罪にも大きく関わっています。ちょっとネタバレになりますが、犯罪の方法に結びついています。

 

和賀は、マスコミの寵児として時代の脚光を浴びている前衛芸術家のグループ「ヌーボー・グループ」の旗手の一人という設定です。1950年代末頃の時代設定から、「実験工房」など実在の前衛芸術集団がモデルと思われます。

実験工房」は現在の美術界では、‟戦後日本美術の金字塔”的存在で、年々評価は高まっているのですが、地に足のついた社会派作家の松本清張からみれば、鼻もちならないインテリ集団のように見えたのでしょうか。映画やドラマにくらべると、和賀の描き方にあまり同情がありません。

 

殺人方法そのものは、正直かなり現実ばなれしていて、まったくリアリティを感じないのですが、私がこの小説で感じたのは、松本清張のディテール描写のうまさです。さりげない日常描写が、ものすごく時代感を表現しているのです。

 

特に和賀の物語以上に私が惹かれるのが、この小説の中で描かれる「都会」と「田舎」の対比です。この小説は、和賀の人生の「光と影」を主軸としていますが、昭和30年代の日本社会の「光と影」も描いています。

和賀を追う刑事の今西は、東京の下町に住んでいます。妻と小さな子の三人のつつましい暮らしぶりですが、そうした地味な暮らしの中にも、夫婦で巣鴨とげぬき地蔵の縁日にいったり、後輩と飲み屋にいったり、妻も日劇に出かけたりと、都会者らしいささやかな楽しみのある日常を送っています(このあたりの描写もうまい)。

 

一方、今西は事件のカギを求めて、出雲の奥地や石川県の山中温泉の外れなど地方に捜査に赴きます。そこでよそ者としての彼の目に移った田舎の風景が、なんとも侘びしく、貧しく、発展から取り残された土地として描写されているんですね。貧しい農家ばかりのさびれた村(今でいうなら限界集落?)は、おそらく架空の土地でしょうが、日本のどこかにあるに違いないと思わせる陰鬱なリアリティを持っています。

特に石川県の「✖✖村」と記述されてる限界集落の描写が、すさまじい。戦後というより、戦前からまったく何も変わっていないであろう、時間の止まった前近代的な暗い雰囲気に満ちあふれています。

こういう田舎の場面のあとに都会(東京)の場面になると、何となくホッとしますね。

 

現代でも、都会と地方の格差なんてよく言われますが、昭和30年代の日本なんて、いまと比べものにならない格差です。ずいぶん前に『三丁目の夕日』という映画が大ヒットして、昭和30年代の古き良き日本を懐かしむブーム、みたいのがありましたが、あれは東京の下町だからこその世界。地方は現代の日本人の多くが嫌う「旧い」社会のまんまだったんでしょうね。

 

ところで、今西刑事の趣味は盆栽と俳句なんですが、まだ45歳という設定なんですよ。渋すぎ…。昭和30年代の日本社会は、そういう意味では「成熟」が早かったんでしょうね。 

ビデオを断捨離せずに減らしてみた――さよならVHS

家にあるたくさんのビデオテープ(VHS)を数年前に800本くらい捨てました。それらはケーブルテレビなどで放映されたものを録画したビデオなので、「まあ、いいか」で、あっさり不燃ゴミにしたのですが、さすがにセルビデオの方は勿体なくて残していました。

 

しかし、さすがに邪魔になってきました。というより、もはやビデオデッキを新たに発売するメーカーなんていないと思うので、現在自分の持っているデッキが壊れる前に、デジタル化しておく必要があります。

 

正直な話、いまの時代はアマゾンプライムやネットフリックスなど、いくらでも映画作品の配信サービスがあるので、もはや個人でこういうものを所有する必要もない気がします。その一方で、そうした配信サービスのリストには載りにくい映画(マイナー、メジャー問わず)もあります。

 

そこで、ついに重い腰をあげて、ビデオのデジタル化にとりかかることにしました。

VHSからDVDにするには、ビデオデッキとDVDデッキが一体化している機器を使うのが一番簡単です。こういう機器も、もう中古品とかを探すしかないんですよね。

 

幸い、父親の家にあったものを貰ったので、意を決して先月上旬から開始したのですが…一ヶ月たちますが、まだ終わりません。

ビデオからいったんハードディスクに落とす必要があるのですが、デジタルデータと違って、ビデオは高速でデータを移すことができないため、上映時間そのままの時間がかかります。

映画一本の上映時間は60分~180分と幅があります。それが100本と少しあります。24時間ずっと録画作業をやることはできないので、一日につき、せいぜい3~6本が限界。

 

既に60本ほどDVDに焼きましたが…まだまだ終わらん~。

 

でも結果には大満足です。

いかに、パッケージというものが空間を占めていたかということが、視覚的に一目瞭然です。六分の1くらいに物量が圧縮されます。

 

断捨離がここ数年のテーマで、なかには早まって捨ててしまったものもあったのですが、すくなくともビデオテープについては「中身」を捨てることなく「容器」を捨てることで空間を確保できました。

 

こうなってくると、セルDVDのパッケージも邪魔に思えてきます。そこでこちらもビニール製のディスクケースに移し替えることにしました。

これも四分の1くらいに嵩が減った気がします。

 

この調子で書籍類も減らせないか…と思うのですが、本をスキャナーで取り込むのはさすがに手間が大変過ぎる。加えて、本は紙ベースの方が結局は読みやすく、利用しやすいんですよね。

キンドルも使ってますが、基本、軽く読める本にしか向かない気がします。ちょっと指が触れただけでページが変わったり、そのたびに一瞬文字が消えるのが、すごくストレスになります。

 

20年近く前ですが、映画評論家の方とお話をした時に、「一部屋まるまる映画のビデオの倉庫になってるよ~」とおっしゃってましたが…どうされたんだろ。

 

映画にしろ本にしろ、情報=モノであった時代は、モノを所有していることが他者に対する優位性につながっていました。しかしデータそのものをやり取りできるようになると、モノは単なる器に過ぎないことにあらためて気づかされます。

映画以上に衝撃的な『フリークス』の舞台裏

アマゾンプライムビデオでかなり久し振りに映画『フリークス』を観ました。もっとも、アマゾンでは『怪物團』というおどろおどろしいタイトルになってました。日本初公開時(戦前?)のタイトルなのでしょうか。

 

むかし観た時よりも面白く感じました。年取って、物事に対する耐性ができたのかもしれません。観て良かったな、と思いました。

 

そこで急に、監督のトッド・ブラウニングに興味がわいてきました。さっそく、ラングドンに関するほぼ唯一の伝記『「フリークス」を撮った男 トッド・ブラウニング伝』(デイヴィッド・J・スカル、エリアス・サヴァダ著、遠藤徹・河原真也・藤原雅子訳、水声社)を借りてきました。

 

伝記なので本の半分以上は『フリークス』以前のブラウニングの人生や映画制作の話に占められています。怪優ロン・チャニーと組んでの怪奇趣味たっぷりの映画制作秘話なんかも面白げですが、それらの映画を観たことがないのでどんどん読み飛ばし、ようやく第五章にお目当ての『フリークス』の話が登場します。

 

いやー、想像とはまったく違う内容でした。正直、私には偏見がありました。つまり、「映画に出ていたあの人たちは、(映画と違って)本当はすごく心優しい、いい人たちなんだろうな」という、思い込みが…。

まあ、まず前提として知っておいたほうがいいことは、1930年代のアメリカでは、サーカスなどのサイドショー(見世物)で、身体的奇形者や、人間ポンプみたいな特異体質の芸人などを披露するフリーク・ショーが結構な人気であったことです。もちろん社会福祉なんてない当時、そうしたショーに出演することは彼らにとっては生活のためでしかないのですが、自分を見るために人が集まるという職業柄のせいか、プライドがやけに高かったようなのです。

 

『フリークス』には、映画のスタッフが一ヶ月かけて吟味したバラエティに富んだ奇形者たちが登場します。この映画のキャッチコピー(?)は「フリークス一人を怒らせると、フリークス全員を怒らせることになる」で、要はフリークスどうしの団結心や仲間意識が物語の核にもなってるのですが、実際はお互いに対する競争意識が強く、またそれぞれに虚栄心や自尊心も高く、全然撮影現場では仲良くなかったようです。

とくに意外だったのは、「シャム双生児と小人だけは、食堂内で他のフリークスに無視された」という点。フリークスたちからも、彼らは他のフリークスと異なる存在と見なされていたとか。

このあたりの感覚はよくわかりません。むしろフリーク・ショーの花形スターのような存在かと思ってました。

その一方で、二人登場する小人のうちの女性、一時は人気女優でもあったデイジーアールズは、ブラウニング監督のオフィスの机に積み上げられたたくさんのフリークスの写真の束から一枚を取り出すと、舌打ちして「こういうのって、本当に恐ろしいわ」と言ったとか。健常者は、自分たちとフリークスとの間を簡単に「こちら側」と「あちら側」みたいに二分してしまう訳ですが、彼らの間ではそう単純なものではなく、もっとグラデーションがあるものなのかもしれません。

 

本の内容で一番興味深かった文章は、アシカの調教師(健常者)を演じたリーラ・ハイアムズの述懐のところ。

ハイアムズは、撮影現場に集まったフリークスを最初に見たとき、「彼らとうまくやっていけるのか」と心配すると同時に、彼らに対して「強い哀れみ」も感じたそうです。

しかし、「すぐにその哀れみの情が意味のないものである」ことを悟ります。というのは、

「フリークスたちは自分たちのことを哀れだとは全然思っていません。彼らは、自分とは異なるハンディキャップを持った者には同情するのかもしれません。けれど誰一人として自分たちのことをかわいそうだとは思っていなかったのです」(157頁)。

健常者側の「おかわいそうに」という同情は、単なる決めつけと思い込みに過ぎなかったという事実。

 

面白かったのは、映画の撮影でハリウッドで過ごす間に、フリークスたちがすっかり、ハリウッドの雰囲気に染まってしまって、サングラスをかけたり、撮影中にわがままなスターのように振る舞い出したというところです。やはりハリウッド、人を狂わせるバビロンですね。

 

しかし、一番奇妙で変わり者だったのは、監督自身だったようです。だからこそ、こういうカルト映画を作れたのでしょうけど。

スタッフたちのブラウニングに対する怒りと恨みも相当なものです。決して妥協せず、納得がいくまで撮影や編集作業を命じる監督というのは部外者から見れば「鬼才」とか「完璧主義者」とか言って称賛したくなるものですが、命ぜられるほうにすれば終わりの見えない長時間労働とストレスの山です。しかし、映画スタッフにはサディスティックなまでに厳しい態度だったブラウニングも、フリークスたちとは良好な関係を作るためにいろいろ気遣ったようです。しかしブラウニングが彼らにさかんに話しかけても、フリークスたちのほうは無視していたのが笑えます。

撮影現場における人間関係の強弱が、

フリークス>ブラウニング>>>スタッフ

みたいな感じでしょうか。

 

この本によれば、グロテスクなものや奇形、不具といったものが、アメリカにおけるエンターテインメントの中心的な要素となったのは、第一次世界大戦後とのこと。映画で描かれる不具という強迫観念と、25万人の傷痍軍人がいたという現実の社会問題との対比とを無視することはできない、と分析しています。アメリカのホラー映画は、しばしば時代状況や社会背景との関連において鋭い考察がなされますが、この映画もまた、奇人監督のカルト映画という狭い枠に収まり切れないものがあります。